日语专业论文-「芥川龙之介の芸术観」

2023-02-22 16:51:12   文档大全网     [ 字体: ] [ 阅读: ]

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芥川龍之介の芸術主義の表現 ―――「仙人」と「秋」をめぐり





調べてみると、芥川の文学が漱石を母とし、その文学が形成されたのがわかった。芥川龍之介が尊敬している夏目漱石さんが、自分作品「草枕」について、そのような話があった。「私の『草枕』は、この世間普通にいう小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯だ一種の感じ--美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい。(中略)さればこそ、プロットも無ければ、事件の発展もない」そのプロットの問題について、『草枕』の路線を継承したといわれる芥川龍之介は晩年、志賀直哉の「話らしい話のない」心境小説を肯定し、それまでのストーリー性のある自己の文学を完全否定する。また、芥川は谷崎潤一郎と「プロット論争」という大喧嘩をしていたらしい。 以上、その時期における芥川文学の紹介を見ると、彼の文学に対する理論と態度が垣間見える。芥川の理論では、文学が現実の再現ではありえなく、言葉の表現そのものが芸術である美なのだ。これはどうのように理解すればよいだろう。今回私たちが『仙人』を読んだうえ、また他の作品にも結びつけ、彼の小説が教訓的なものや社会倫理とも切り離されたではないか、芥川が感情を含めず、客観性を重視しながら述べていたという感じが出てくる。つまり、そうすべきだ、そうしてはいけないというような明確な結論や評価を示していないことだ。 例えば、『仙人』の中、医者夫婦に対する道徳的で、教訓的な指摘がなく、ただ物語を述べるだけである。『仙人』の中に「狡猾な」という言葉が明らかに書いてあるので、多分この文章の旨は「悪」を指摘し、批判するものではないと思う。悪を批判することより、伝説物語である面白さ、また結局のま仙人がだれであることを示唆するという曖昧な書き方の方は、『仙人』における芸術性であるだろう。 伝説物語と言えば、もう一篇の芥川の小説を思い出した――よく知られた『桃太郎』だ。芥川による桃太郎が明らかな悪い者で、ただし文章の旨が桃太郎の悪行を批判するわけではないと思う。逆な視点で読んだら驚いて、おもしろいと賞賛せずにはいられない文章だ。そういう悪い役が明確で、粗筋も簡単な物語は、道徳的な意味よりよほど文章の趣や言語的な表現に工夫された。

それでは、『仙人』のような伝説物語風の小説とまるきり違い、心理写実小説と言われる『秋』1920)を見てみよう。その中も、いくつか似ているところがあると考えている

*あらすじ:

『秋』は姉妹と従兄の三角関係の物語である。姉である信子は、妹の照子(てるこ)が従兄の俊吉に恋をしていることに気付き、俊吉を手放し、別の相手と結婚した。その後、照子は俊吉と結婚した。しかし、信子の結婚生活は徐々に幸福でなくなってきた。翌年の秋のある日、信子は妹の新居を訪問したが、信子は幸福そうな妹が羨ましかった一方、子は夫と姉の仲良い様子に嫉妬していた。最後退去した信子は、妹とは永久に他人になってしまった心もちがした。ふと町を歩く俊吉を見たが、信子は声をかけるのをためらい、過ぎていきました。

ざっと読むと、いかにも芥川は信子がそうすべきではないという主張らしいが、確かにそうであるだろうか。




まず、信子と俊吉の相愛が友達の目によって見られるものだ。原文の中に「同窓たちの頭の中には、何時か彼女と俊吉との姿が、恰(あたか)も新婦新郎の写真の如く」と書いてあるのだ。そういう第三者の目を借りて書く方法は、『仙人』の冒頭にも見られるのだ。「皆さん。私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう」。どうして第三者の立場に立ち、文章を進めるのは、事柄や意味を構築しやすいためであるだろう。それは作者自身の態度が出ておらず、読者の主観に任せるという客観的な書き方であると思う。

結論から見ると、『仙人』には、「なんでも淀屋辰五郎は、この松の雪景色を眺めるために、四抱えにも余る大樹をわざわざ庭へに引かせたそうです」『秋』では「信子はうすら寒い幌の下に、全身で寂しさを感じながら、しみじみかう思はずにゐられなかつた。」と書いている。両方とも、芥川が書き方に深く工夫したと感じた。読者を想像させ、その想像する余地を読者に与える書き方だと思う。

また、芥川が懐疑で厭世である人物から考えれば、彼は人間には悪が自然に存在するという考えをもっているだろう。悪においては、その両方にも書かれている。『仙人』の中に「狡猾な医者の女房」という直接な描写に対し、『秋』には「信子は残酷な喜びを感じながら」という描写がある。簡素な書き方で書かれた『仙人』から感じがたいかもしれないが、『秋』では、自己犠牲の意識が強い信子にも、セルフコンシャスがつい出てくることが時々現れた。『秋』に関する先行研究には、意識し得ないものの探求への志向を強めていたという指摘のようだ。「あなたのように馬鹿正直では、このセち辛い世の中に、御飯を食べることもできはしません」とそういった医者の女房と、「あんたがよければ私がどうでもいいのだ」といった信子は、ある程度自分が悪いことしていると思わないだろう。ただ、そういう本能的に潜めている悪の下に、期待していた結果が出てこない。そのため、権助が医者の女房の予想外で仙人になったと書いてある。

なぜ『秋』を選ぶのかというと、まず時間的に、芥川の作風と芸術観における転換点が 大正八年と大正十二年という二つの年であるという指摘がある。『秋』と『仙人』が全部その間に創作された。『秋』が現代の写実物語なので、実生活に近く、すこし芥川の心境が覗き見えるかもしれない。また、『秋』に対して、みんなの読みや感触がかなり違うことに驚き、みんなが違う角度でも、踏みこんで読むことができる。一層芥川の語りの多様性は見事で理性表現の仕方を感じた。芥川はやはり自分を隠して、態度を隠して、読者の解釈を広げようという文学における芸術観ではないかと考えている。(悪に対しては、明らかな非難より、無力感を覚える方が相応しい。


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