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第九篇
21世紀への新しい道
中村 桂子
科学技術の発展を支えてきた動機は、人間の力の代行、さらには拡大の願望であった。特に18世紀の産業革命以来、エネルギーの供給が蒸気機関からさらには内燃機関、モーターへと移り、さまざまな形態で自由に利用できるようになると、拡大のスピードは加速度的になった。
しかも第2次大戦後、1950年代に入っての石油化学の急速な発展、さらにはエレクトロニクスの発展と続き、科学技術の恩恵は日常生活に及んできた。そこで一般の人の価値観も、豊かな物質、能力の拡大などを重視するものになっていった。
特に1960年代は、未来は無限の可能性を持っているかのように見えた。しかし、1970年代になってこの無限の神話は崩れかけた。環境問題、資源問題などで地球の有限性に気づかざるを得なくなったと同時に、宇宙船から観た地球が世界中のテレビに映し出され、地球が小さな一つの星であることが明示されたからである。
そこでの選択は二つ考えられた。一つは拡大と無限の可能性という価値観は変えずに、それが実現できる新しい場を捜すことである。もう一つは、価値観を転換し、限りのある中での生き方を探るというものである。
前者の具体的な提案としてスペースコロニーがある。米国の航空宇宙局(NASA)が作成した青写真は、現存の技術で可能なこととして、月の砂や石を材料に、豊富にある太陽エネルギーを利用した宇宙建設を描いている。当面1号島として直径500メートルの球をあげると、1万人が居住可能であり、さらに大きな円筒形を作れば、100万人は住める島ができるという。
このように、宇宙へ出ていこうとする考え方に対して、第二の選択は、無限という前提が誤っているのであり、そもそも人間の持つ可能性は有限なのだとしたうえで、その中でいかに生きるかという発想から出発しようとするものである。
この考え方の基本には、物質やエネルギーの有限性だけでなく、人間自身が、自分のもっている遺伝子に書き込まれたプログラムの中でしか動けないものであり、枠のはめられたものなのだという受け止め方である。
拡大を求めて宇宙へとび出そうという発想を実現するためにまず開発すべき科学技術は、実は閉じた世界、つまり有限の中で上手に生きる方法なのだ。
スペースコロニーでは農業が行われ、家畜が飼われ、工場が稼働しているだろう。宇宙基地と違って、地球からものが運べる場所ではないから、コロニーの中での自給自足が不可欠である。
となればこれはまさにミニミニ地球。太陽エネルギーの豊富さは地球とは比べものにならないだろうが、いずれにしても閉じた空間の中で一つの生態系をつくりあげなけれはならないわけだ。そこで使われる技術は、いま地球上でも大切になている、循環させる技術になるはずだ。一方通行の大量生産技術では行きづまってしまう。
これで、広い宇宙に無限の可能性を求めていくとすれば、有限の中で生きる生き方を身につける必要があることがわかった。
創造的人間
湯川 秀樹
人類はおそかれ早かれ科学を生みだし、それを成長させてゆくべく運命づけられていたのである。科学の発生や初期の成長には、いろいろと好適な条件がそろっていることが必要であったろう。( )、それがある地域である程度まで成長し、それに伴って科学文明がある段階にまで発達すれば、それらは比較的容易に他の地域に移植あるいは伝達することができる。そうなれば水が高いところから低いところへ広がってゆくように、科学文明は地球上の全地域へおそかれ早かれ普及してゆくことになる。それはもはや逆もどしのできない、一方むきの動きである。
科学文明がそのような(1)浸透力を持つ理由の一つは、それが本来、自然と別のものでないことにある。自然界の中にもともと潜在していた、さまざまな可能性を人間が見つけだし、(2)それを現実化した結果が科学文明にほかならない。文明とは(B)( )第二の自然である。人間の頭と手を経た第二の自然は、人間にとって都合のよいものと期待されていたのである。(C)( )、第二の自然が、なまの自然と人間との間にはいってきて、人間生活をより快適にしてくれた場合が多かったのである。
しかし、なまのままの自然が人間にとって愛すべきものであると同時におそるべきものであったように、第二の自然もまた愛すべく、おそるべきものであった。冷房装置が発達、普及すれば、夏の暑さが頭脳労働の能率を低下さすことも心配しなくてよくなるであろう。私自身も冬日と同じように夏日を愛するようになるだろう。その代わり、第二の自然のほうが愛すべく、またおそるべき当の相手となってきたのである。自動車を愛好すると同時に、交通事故をおそれなければならなくなってきた。原子力発電を望むと同時に、核爆発をおそれなければならなくなってきた。人間にとって都合よくできているはずの文明が、どうして天使と悪魔の二面相を持つことになったのであろうか。よくよく考えてみなければならないことである。
毛利さん宇宙へ
「煙が目にしみる」という歌がある。「納豆が目にしみる」とは知らなかった。
宇宙に梅干しなどを携行する毛利衛さんが納豆も持ってゆこうとした。ところが認めてもらえなかった。納豆の糸が漂い、たなびき、目に入るおそれがあるからなのだという。納豆好きとしてはまことに残念だが、仕方がない。無重量とは、かくのごときものか。 実験の場としての宇宙には、次のような魅力があるそうだ。第一が、この無重量状態。物の重さから解放される。第二が超高真空状態。地上の大気からの解放である。そして第三に、地上にない宇宙放射線の利用だ。
今回の飛行では7日間に43件もの実験をする。大半が無重量状態を生かしてのものだ。毛利さんは地上向け「宇宙授業」で郷里、北海道余市町のリンゴを空間に浮かべて無重量状態を説明する。ニュートンのリンゴは有重量を示す現象だった。
紙飛行機を飛ばす実験も面白そうだ。落ちることはない理屈だが、どんなふうに飛ぶだろう。無重量状態はまた比重の違う物質を均一に混ぜたり、合金を均一に作ったりするのに都合がいいという。地球上で作れぬ物質も作れるということか。
スペースシャトルの飛行について、素人なりに魅力を感じることがある。第一は未知に挑む面白さだ。右のような個別の実験も、一つ一つが宇宙を理解する努力である。同時に、未知の領域の広さを認識させられる結果になるだろう。
「努力」を意味する機の名「エンデバー」は18世紀の英国の探検家、ジェームズ・クックの船の名にちなむ。新しい世界に目を向けての航海だ。だが魅力の第二は、この旅が古い世界、つまり地球に目を向け、考える機会となる点にある。 広い宇宙から地球を見る。狭い、小さな天体で、人間は何をしているか……。卑小さ、すばらしさなどが、同時に感じられるかも知れない。
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