【#文档大全网# 导语】以下是®文档大全网的小编为您整理的《日本国家概况 第10课日本人と察しの文化》,欢迎阅读!
だい
第10課 日本人と 察しの文化
い
たし
かにほんじんさっぶんか
にほんじん
日本人の話は回りくどいとか、「イエス・ノー」がはっきりしないとかよく言われます。 確
にほんじん
しょうだん
はなしまわ
かに、日本人は商
わだい
はじ
すこ
談や交
こうしょう
渉の場でも、本題と関係のないような周
ちか
かた
おお
ばほんだいかんけいしゅうへんてき
辺的な
話題から始め、少しずつ話の核心に近づくような話し方をすることが多いでしょう。欧米社会のように、はじめに原則や要
にほん
おこな
げんそく
ようきゅう
はなしかくしん
おうべいしゃかい
求を述べ、次ぎに交
にほんじん
のつこうしょう
渉に移るといったやり
けつろん
たが
うつ
かた
方は、日本ではあまり行われません。なぜかというと、日本人にとっての結論は、お互い
さいしゅうてき
が最終的に到達すべき調和点であって、「初めに結論あり」ではないからです。つ
さ
たが
お
あ
さぐ
ごういてん
とうたつちょうわてんはじけつろん
まり、対立的議論をなるべく避けながら、お互いがどこで折り合えるかを探り、合意点を
さぐ
たいりつてきぎろん
探るという帰納的発想に立つのが日本式なのです。
きのうてきはっそうたにほんしき
欧米人の発想には、真理は一つであり、正か
えいえんおうべいひと
はっそう
しんり
ひと
せい
よこしま
邪か、善か悪か、両
かんけい
ぜんあくりょうしゃ
者は
永遠に対立するという発想があります。これは一
こらいにほん
かみがみ
たいりつはっそういっしんきょう
神教とも関係しているのかもしれ
あ
ものごと
き
たしんきょう
ません。しかし、古来、日本は神々がどうすればいいか話し合って物事を決める多神教
しゃかい
せいじゃ
ぜんあく
たちば
か
か
まり
そうたいてき
はな
の社会であり、正邪・善悪は立場が変われば変わるものであり、真理は相対的であるという考えが根底にありますから、論争で是非を決めるといった考え方にはなじみにくいのです。日本のように所属する共
じゅうし
しゃかい
じこしゅちょう
にほん
しょぞく
きょうどうたい
かんが
こんてい
ろんそう
ぜひ
き
かんが
かた
同体の利益と集団内部の「和」を何よりも
おさ
あいて
たちば
かんじょう
りえきしゅうだんないぶわなに
重視する社会では、自己主張をできるだけ抑え、相手の立場や感発言したり、行動する傾向が強くなります。
こうどう
けいこう
つよ
情を考えつつ
かんが
はつげん
例えば、相手から誘われたり勧められたりして、断らなければならないときも、日本人なら「すみませんが、その日はちょっと、・・・」のように言葉を濁すことでしょう。「できません/お
ことわ
ひ
ことば
にご
たと
あいて
さそ
すす
ことわ
にほんじん
断りします」といった拒絶の言葉の使用を避けて、相手に察してもらおうとするからです。
おうべい
ひと
にほんじん
い
ゆえん
にほんじん
きょぜつことばしようさあいてさっ
これが欧米の人から「イエス・ノーがはっきりしない日本人」と言われる由縁ですが、日本人
は相手の心を傷つけまいと思って、敢えて曖昧な言い方をしているのですから、文化の違
い
ば
ごかい
まね
ことば
けんとう
こころきずおもああいまいいかたぶんかちが
いと言うしかありません。また、ビジネスの場でよく誤解を招く言葉に、「検討させてください」「考えさせてください」がありますが、この言葉は日本人が首を傾げて言ったり、顔をしかめて言ったとすれば、十
う
と
い
じゅっちゅうはっくことわ
かんが
ことば
にほんじん
くび
かし
い
かお
中八九断りを表しています。ところが外国の人は言葉
いみ
し
にほんじん
うそ
おこ
あらわがいこくにんことば
どおりに受け取りますから、後で「ノー」の意味と知ったとき、「日本人は嘘つきだ」と怒ったりするのです。しかし、日本人は面と向かって「ノー」というのは相手を傷つけると思い、
えんきょく
にほんじん
めん
む
あいて
きず
おも
あと
婉曲に断ったのです。
いみんぞくしはい
う
かんが
かた
どうしつせい
ことわ
島国であったおかげで、異民族支配を受けたこともなく、ものの考え方にも同質性
たか
にほん
ことば
あいて
め
かお
しまぐに
が高い日本のような社会では、言葉によるコミュニケーションよりも、相手の目や顔の
ひょうじょう
表情で相手の気持ちを理解しあうことの方を大切にする文化が長い間
いしんでんしん
さっ
ぶんか
い
ひと
あいてきもりかいかたたいせつぶんかあいだつづ
続いてきま
した。これを「以心伝心」とか「察し」の文化とか言う人がいますが、この言葉によらない
ひげんご
ことば
非言語コミュニケーションを芸
げいじゅつ
術にまで高めたのが、伝統芸能である「能」の世界で
たかでんとうげいのうのうせかい
した。
もちろん、これからの日本人は国際化する社会において、言葉も文化も違う外国の
ひと
にほんじん
こくさいか
しゃかい
ことば
ぶんか
ちが
がいこく
人とコミュニケーションをとるためには、自分の意見や意思を人に誤解を与えないように、堂々と主
いしゅちょう
じぶんいけんいしひとごかいあた
どうどう
張できるようにならなければなりませんし、「長いものには巻かれろ」「出る杭は打
にほんしゃかい
めん
こくふく
ながまでくいう
たれる」と言われるような日本社会のマイナス面は克服すべきでしょう。
しかしながら、それは何でもかんでも欧米のやり方に合わせればいいというものではないはずです。それぞれの国には、それぞれの歴史的な発展過程があり、それぞれの文化や伝統、
しゅうきょう
くに
れきしてき
はってんかてい
ぶんか
でんとう
なん
おうべい
かた
あ
宗教などの違いがあるのですから、世界には異なる価値観が存在することを認め合い
きょうぞん
ちがせかいことかちかんそんざいみとあ
ながら、共
存できる世界が理想だと思うのです。
せかいりそうおも
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