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高级日语阅读
日本の万博後の経済成長から見る上海万博後の中
国
──世界の国からこんにちは──*1970年の大阪万博は、戦後生まれの日本人である私にとって、まさに「見聞の開国」であった。また同時に、「未来ビジョン」というものが、目で見られる、手に取れるものとして実感できた「現場」でもあった。「インドのカレー」と「ナン」というものを初めて口にしたのもそこのインド館であったし(その後30年まともに食べることはなかった)、硬貨を入れれば缶入り清涼飲料がゴロンと出てくる自動販売機(それまでは「ガチャン!」と取り出すボトルベンダーしか見たことがなかった)も、
その会場で利用したのを嚆矢とする。
1964年の東京オリンピックで真に国際社会に再び受け入れられたと感じた戦後日本が、その舞台でもう一度飛翔していいのだと確信を得たのがこの
1970年万国博覧会で、その間には6年という歳月を閲している。 ただしこの期間はけっして容易に、また楽観的に経過したものだったのではなく、戦後復興の陰の部分というべき環境汚染、いわゆる「公害問題」にしだいに光が当てられ、またまさに「文革」たけなわの中国の影響を受けたフランス・パリ五月革命に端を発する、学生を中心とした異議申し立て運動の津波が、安保反対・ベトナム反戦運動とも相俟って、日本にも押し寄せてきていた。
「反博」という名の催しのことを、年少ながらも私は覚えている。 このように、高度発展と自己省察の契機がともに存在したにもかかわらず、その後の日本の歩みは私があらためて語るまでもなく、もっぱら経済成長と驕奢な「ライフスタイル」の追求に偏り邁進していった。何でも「東洋一」であることを誇り、「アメリカに追いつけ追い越せ」を目標とし、ドルショックも石油ショックも克服して、気がつけば日本人旅行者は世界の名所を闊歩して高級ブティックに群がり、円バブルを現出させ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の甘言に酔わされて、しかしてその結果はどうだったか。ウォール街の金融エンジニアによるキーボード操作の指先一つで、後を追いかけていた四
頭の小さな龍とともに、奈落へと逆しまに転げたのではなかったか。 そう考えると、日本の「失われた10年」というのは、けして90年代のことではなく、むしろ目先の饗宴に踊って足許を見「失った」80年代なのでは
なかったか。
ひるがえって中国を見ると、トウ小平南方講話以降、すなわち90年代以来の歩みは、まさに驚異である。沿岸部・都市部の現代化と経済発展は急速で、
とくに21世紀を迎えてからは、ポケットの膨らんだ観光客は東京銀座に連日溢れかえり、高額商品を大量に買い込んでいく。トム・クランシーの偏見に満ちたシミュレーション小説もものかは(この作家は日本についても同じようなことをやった)、世界の工場、さらには世界の消費者、上得意としての地位をいまや築き上げた中国は、チベット動乱とそれに対する非難を押さえ込み、北京五輪もボイコットもなく開催し、四川省大地震の復興にかかっている。 ここで北京五輪から上海万博までの期間を見ると、日本と違ってわずかに2年しかない。またすでにオリンピックまでに、少なくとも大都市においては、世界の水準に伍する「現代化」はハード・ソフトともに成っており、都市住民は国際化にも外国観光にも、さらには奢侈にすらはやなずみ、それらが新規・珍奇だとてさらに驚くこともない。そして上海万博は、もう既成事実としてある「チャイナ・アズ・ナンバーワン」の、さらには阿片戦争以来の歴史を一挙に雪辱する国威発揚の、いわば最終的完成を示すものでしかないのである。 オリンピックと万博とで戦後の開国を成し遂げ再び飛翔したが、それも水泡と消えて「第二の敗戦」を経験した日本。かたやその二つが、中華国家の権威復興の総仕上げである中国。今後の中国には、日本という前車の覆轍から学
ぶところはないのだろうか。
時代は動く。世界同時不況の惨状や地球温暖化防止の潮流は、スローライフの試みや、多民族による地域環境に根ざした固有の文化の今日的価値に対して、私たちの目を向けさせる。その一方では、ウォール街を頂点とする国際資本が、グローバリゼーションをコントロールせんとする試みを捨てることも、また当分はないだろう。しかも相次ぐ自然災害は、両者の狭間で、私たちの価
値観を手ひどく動揺させる。
こうした大きな動きが複雑に絡み合う情勢の中で、もし中国が、一元的で硬直した中華帝国の復興にのみ驕傲な達成感を見出していたならば、必ずや日本同様、足を掬われることになるだろう。もし中国が足許を見「失い」たくなければ、いまいちど Overseas Chinese とも有機的連携を取って、外の世界に開かれながら国際経済に柔軟に棹差し、また内には領域の諸民族をけして同化することなくその生活と文化を最大限に尊重しつつ、自国の、そして世界の多様な発展にも役だて、かくして国際社会から尊敬の念を勝ち得るべきであろう。万国博覧会とは本来そのような方向性に資する意義を持つものであり(人類の進歩と調和)、上海万博開催は、中国にとってまさにそ
の第一歩となるべきだと、私は思う。
──世界の国からこんにちは──これはそらごとではない。1970年当時の日本人には、ほんとうに大阪千里丘陵に「世界」が花開いてあったのだ。上海万博は、中国の人々が世界に、さらには自国の多彩さに目を見張るそうした
契機に、はたしてなり得るであろうか。*万博テーマソング「世界の国からこ
んにちは」
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